創設者 鶴昇
春日鶴昇は、大正10年台東区浅草に生まれました。 母は新内の家元、名女流といわれた富士元加賀吉。
9歳で花柳輔十郎師に入門。初舞台を11歳の時「松の緑」を浅草雷門、並木倶楽部で演じ、その後、日本橋倶楽部ほかで数々の舞台を踏み、昭和15年花柳輔吉郎の名を許され、師匠の輔十郎の代稽古をするなど活躍した。この間、長唄を家元・牧小十朗師(当時杵屋吉志朗)に、清元を清元延登世師に、常磐津は、常磐津市松師と文字妻師について修行。
昭和16年兵役に入り、満州、中支など戦地を転戦、昭和21年3月帰国。 だが、巷は焼け野原と化していた。
住居を江戸川区に移し、門下の育成を始め、昭和22年10月上野池之端都民文化会館にて第1回柳賀会を催す。
平成13年初代家元春日鶴昇逝去。春日鶴州が名を鶴壽と改め二代目となる。
平成14年3月3日国立劇場小劇場にて「先代追善・二代目継承披露」の公演を催す。
2代目 現家元 春日鶴壽
昭和23年春日鶴昇の長男として東京都江戸川区に生まれる。
6歳の時「五郎」で初舞台。
長唄を菊岡裕晃師、宮田哲男師(現在人間国宝)に、鳴物を福原鶴太郎師に学び、日本大学芸術学部を卒業後、東京芸術大学邦楽部別科に入学。
イギリス、フランスなどで開かれた世界民族舞踊祭に参加。
昭和48年芝ABCホールにて初リサイタルを催す。以後「春日の会」「春日の会・勉強会」の主催は勿論、リサイタルも定期的に行っている。
特色
故きを温ね新しきを知る。
あくまで古典舞踊を基礎とし、伝統を重んじながら、現代性を取り入れた踊りを創り出している。